沼津歴史の探究

愛鷹牧の里 伊豆海

伊豆海の見所ご案内

■「幸せを呼ぶ母子馬」

■ゴジラの泉

■重量2.5tの大錨

■招福わらべ馬頭観音

■神馬を復元した「金馬」

■絵馬かけ垣

歴史の探究

■沼津垣とひらきの歴史

■愛鷹牧の歴史
 駿州愛鷹牧捕馬の図

■富士山と愛鷹山
 ●山の背くらべのお話し
 ●愛鷹山と源頼朝


 

沼津歴史の探究

 

沼津の歴史・文化の紹介 愛鷹三牧場

愛鷹牧の歴史

古代の律令制国家のもと、全国各地に牧が置かれ、牛や馬が飼育された。
最初、牧は兵部省の管轄の下、国司が管理してきたが、十世紀初頭の駿河国には、岡野馬牧、蘇弥奈馬牧という二つの牧が置かれていた。岡野の岡宮、蘇弥奈は比奈という後世の地名に継承されたとも言われ、現在の沼津市から富士市にかけての愛鷹山南麓ではないかと推定されている。古代末期から中世へと時代が移り、律令制が衰退していくと、牧も私牧・荘園化していくことにより愛鷹山の牧の施設・機能もなくなった。しかし、野生の馬は、生き続け、愛鷹山頂を本宮とする愛鷹明神の神主奥津家がそれを保護し、今川氏や武田氏からも神領・神馬の安堵を受け近世に至った。
近世に入ると、諸藩では独自に牧を設置・経営したが、江戸幕府自身も小金五枚、佐倉七枚、安房国の嶺五枚、駿河国の愛鷹三枚という合計二十箇所の牧を経営した。
古代・中世以来放置されていた愛鷹山の野馬に江戸幕府が最初に目を付けたのは、房総において牧の準備・新設を進めていた享保期のことであった。
しかし、愛鷹明神神主奥津氏や農民たちは愛鷹山野馬が建久五年(1194)に源頼朝によって奉納された九十九頭の神馬に由来すること、今川義元・武田信玄・川毛惣左衛門・井出志摩守正次ら歴史の支援者たちも神馬・神領を安堵してきたことなどを理由に、牧設置に反対の意向を示したことにより上の歳月が流れた。
寛政八年(1796)同年十一月、幕府は神罰が下ることを恐れ執行に反対する奥津神主の主張を退け、牧の開設を断行した。
元野・尾上・霞野三牧の用地選定を行った、その年十二月から翌年二月にかけて、土手の築造をはじめとする牧場施設の建築が地元農民たちによって行われ寛政九年(1797)三月、はじめての捕馬が実施されたのである。
明治維新後は一部が明治政府に引き継がれ御料牧場になったほか、開墾され農地や宅地になったり、軍隊の演習場になったりした。

駿州愛鷹牧捕獲馬之図
駿州愛鷹牧捕獲馬之図(世古明夫氏所蔵)

愛鷹三牧場

愛鷹三牧場は、今から二〇〇年ほど前の寛政九年、江戸幕府によって設置された馬の三つの牧場で、明治初年に廃止されたため、期間はわずか八〇年ほどでしたが、江戸幕府の直営した全国的にも数少ない牧場でした。
牧場が出来る前の愛鷹山麓には、源頼朝が奉納した神馬が、半ば野生化し野馬となり数百頭が疾駆していました。この周辺もかつては三牧馬の一つがあった所です。

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